オーライ!ニッポン 山形シンポジウム


  都市と農山漁村の共生・対流の取り組みを広げていく一環として、地方における都市と農山漁村の共生・対流の運動を盛り上げていくため、平成19年11月16日(金)シンポジウムをホテルメトロポリタン山形でオーライニッポン山形シンポジゥームを東北で初めて開催した。

プログラム
【1】 13:00〜17:00 シンポジウム(会場:4階 「霞城」の間)
13:30 開会の挨拶は川勝平太オーライニッポン副代表
    挨拶 遠藤武彦衆議院議員と日野雅夫山形県副知事が挨拶をし、
14:00 基調講演に女優の藤田弓子氏がユーモアたっぷりに講演した。
15:15 パネルディスカッション
    【テーマ】やまがたで過ごす至福の時間(とき)〜休日から定住まで〜
【2】 17:30〜19:30 交流会 (会場:3階 「出羽」の間)を開催した。

 


川勝平太オーライニッポン会議副代表挨拶:

 11月、立冬の季節です。平成16年6月 安部晋三先生が、7つの省と内閣府で、都市と田舎のオーライが大事であるということで、共生・対流のNPOとして創ったのが、このオーライニッポン会議である。東北では山形が最初の開催である。最上川は奥は米沢から始まり、庄内地方を結んでいる。ローマ帝国は馬車で、文化の道と言われた。山形最上川は、水が素晴らしく農産物を作り上げ、本日シンポジゥームをこの山形で開催できうれしい。
 東京都違うライフスタイル、東京都違う日本をこの場から情報発信していければ幸いである。
 

 遠藤武彦衆議院議員 自民党都市との対流共生部会長 

 自民党の虎島和夫衆議院議員と武部 勤衆議院議員と私と3人で、呼びかけてこの都市と田舎の交流事業を創った。田舎という物は、生産性が低くて、非効率的な物を創っているのが農業である。食糧・貯水ダム・原子力が田舎にあり、その裏腹な部分で、都市の豊かさができあがっている。豊かさを共有関係づくりの為に、都市と農村が行き来をするということが大切であるという主旨である。食糧61%カロリー73%超輸入大国、日本人の大量生産・大量消費・大量廃棄がその実態である。

  地域振興局次長

  農村漁村交流プロジェクト事業が始まろうとしている。1961年農業基本法ができ、農業と工業の不均衡を是正しようという主旨であった。選択的拡大を通して所得を上げようとしたものだ。ただ生産性向上がうまくいかなかった

  日野雅夫山形県副知事

 11/13日 最上川の出羽さんざんの文化的景観を世界遺産にしようとしている。松尾芭蕉は山形県が一番長く過ごした。

  藤田 弓子

 静岡県の伊豆の国市からきました。

 番組の飛び出し定年をしている。・・・・将来田舎暮らしをしたい人いるが、最後のブレーキは奥さんがいざとなったら、「だめ」 奥さんというのは地元の友達と離れたくない」というのがある。だから準備が必要である。

@     計画 Aお金 B体力 でも一番の理解は家族の理解である。

知り合いの警察官が田舎暮らしをしたいということで、海が好きでうまくいっている。また、もう1人の知り合いは、残業が多くて、子育てを奥さんに任せていた人。定年後に畑を借りて田舎暮らしをしたいと思ったが、奥さんが初期の認知症にかかっていた。

 別荘感覚と違い、そこに暮らそうというわけだから、人と地域の人との人間関係をつくろうということ、酒飲み友達・ゴルフ友達・イヌ友達(町で劇団を創って)ができていった。よくも地域には、よそ者・馬鹿者・若者が必要というが、パワーのある人、ちょっとおっちょこちょいな人 こういう人のパワーを見直ししてうんと利用するといい。定年前の仕事をしてきたパワーは「もったいない」と思う。田舎暮らしのパイントは、「人間関係をうまくやっていけるかどうかだと思う」1人1人元気にパワフルにやっていけるかどうか。その為には顔に表情がない人が多すぎる。

 日本人は、いちいち顔に表情をださないというのは知恵かも知れない。 小さな日本が世界をリードする国になったのもそうかも知れない。表情豊かなレッスンということで、自分も入っている顔学会では、整形・形成・美容とあるが、すべからく人間は顔の筋肉動かさないと、固まってくる。笑う門には福来たる」門とは家ということで、笑う人がいる家には福の神がやってくる。

       いらっしゃい(元気がない場合)

笑顔の練習  いらっしゃい(怒っている場合) あなたはどこの店で買い物をして

       いらっしゃい(自然の場合)    お金を落としますか。

 思いっきりテレビにでているが、丹波哲郎さんとご一緒した時、母が丹波さんの大ファンで、あの世はどうなっているのか聞いてくれと言われたから、いやだったが、それとなしに聞いた。

 お父さんが早く死んだけど、自分は長生きして、年寄りになってあの世であっても自分だと判らないんではないかと聞いたら、大丈夫、あの世は若いままになれるからと言っていた。

だから、PPK(ピンピン生きてころりと死のう)と言われていた。

あごを引いて、口を横に大きく開いて、アントニオ猪木さんと志村けんさんのアイーンの恰好をしようということで、声をだして「アイーン」という。

50歳すぎて、きれいだねと言ってきたら、財産目的だと思った方がいい。今の夫婦は言葉が足りない。以心伝心というがそんなことはない。ご飯を食べたら、「おいしかったよ」「ありがとう」自分が言われたら、うれしい言葉である。

子どもが言わないのは「大人がちゃんと言っていない」からである。人を褒めようと思っていると、自分が一番成長している。

パネルデイスカッションの部

コーティネート 

川勝平太オーライニッポン会議副代表

パネラー

栗田和則 暮らし考房 すぎさわ代表 山形県グリーンツーリズム推進協議会会長
 
遠藤周次 ゆうきの里さんさんチーフマネージャー山形県グリーンツーリズム推進協議会
                  幹事長
 小野寺美佐子 食べ物を考える会主宰
 斉藤万里子 有限会社鳥海山麓斉藤農場 取締役

《栗田和則》
 
山形県金山町で家族8人4世代で、山里の暮らしを楽しみながら、この暮らしを次世代につなげれればと思っています。研修棟・宿泊棟・木工棟・210年の母屋で、「農村生活体験」を受け入れている「海外研修」も実施している。杉染め・森の楽器づくり、チェンソーアートをしている。ログハウスの宿泊、山村に新しい仕事を持ち込もうと思い、イタヤカエデからのメイプルシロップ、カラカラ草を活用した地ビールをしている。

木工の遊具を通した、自然との共生の村、自然との体験の村を目指し、7人の山里の案内人・8人の森の案内人で森林倶楽部をつくってやっている。

哲学者の内山 節さんにきてもらい、山里哲学講座をしている。30人で世話人方式で、メイプルり里づくりを目指している。空き家がありスローな村である。

【課題】21年やってきて、分校の活用と森の活かし方 毎年2000人の人が入ってくると物が動く、自分たちもここで生きるという気がわいてくる。

川勝: 交流という点では内山先生から「自然の人間の共生」について指導を受けている。金山町の哲学として杉沢は違う町並みづくり100年運動を展開していますね。杉が育てた町民性があると思う。

《遠藤周次》
高畠町 人口26,292人の町 28%が農家 26%が高齢者 複合経営の町である。1973年に、人に優しい農業を目指して有機農業をはじめた。35年の歴史の中に安全な食べ物を求めてきた。まほろばの里農学校があるが、外国からも参加している。その事が高畠病となり、病原菌が全国に増えていく。生き物の観察会とか、大学生のゼミ生、山形大の学長が戦闘に立ってやってくれている毎年700人から1000人がきている。小・中・高の地域での「命」の教育を実施している。

大事な事は「健康」「環境」「文化」の舞台づくり、人情と暮らしの町として意義づけて、新まほろば人が80人移住してきた。命耕す人々である。

川勝:ご自身が治部の地域の魅力に気がついたのは、いつごろからか

遠藤:ある日から歴史が見えてきた。先人から石碑がたくさんある町でもある。石仏として残っている。また、私は絵を描く趣味があり、高畠の町並みを描いてきた。

国際交流では、アメリカのコロラド州と交流している。

《小野寺美佐子》
京都料理など、畑に行きいっしょに収穫して、旬の料理を修学旅行の受入、小学生、高校生、大学生に出している。

家族、地域をおこなっている。創った料理を「おいしい」と言ってもらうのが一番うれしい。玄米・有機米・ランチで出している。夜は、京風料理で地場産の物をだしている。くつろげる空間もある。スタッフ研修として、生け花や温かなもてなし研修もおこなっている。

交通の不便な所は送迎もしている。東京の武蔵野市と山村・漁村の交流体験をすることを決めてやっている。
川勝:こういうことをはじめた動機は5人の子どもの食育を考えているうちに始まった。

《斉藤万里子》
 2001年東京農業大学を卒業して、東京育ちの自分が何故農業か、東京育ちの私は、せまい東京をでたかった。それといつか動物を飼ってみたかった。大学時代に、有機農業を実践する会に勧誘されたのも大きかったと思う。じゃ、どこがいいかということで、遊佐町にきたのは結婚した人が遊佐町出身で、言葉がわかるということがとても大切なポイントだった。鳥海山がとてもきれいで2236mもあり、いいところです。夕日がきれいなのも魅力の一つでした。
川勝:農的生活のチャーミングポイントは何ですか?

遠藤:日本人の贅沢の一つ持続的な生活ができるカントリーに住みたいということで1人の夫婦が高畠町に住んだ人の手紙を紹介し、汗をかき、物をつくり、食べる、自然との共生をしたい。そして孫に伝えたい。55歳の方 せめて幼児期に祖父の元に長く滞在させたい。68歳まで素晴らしい人生を高畠町でおくれた。その観想を紹介してくれた。

栗田:金森町は、都市と違う日常の暮らしがここにはある。この町にくると誰でもが詩人になる。農村は自然の中で、自分も生きるものとしての自分に気づく。内山 節先生は、ここには蓄積していく空間があると言っている。杉80年 ブナ250年の蓄積していく時間がある。

田舎料理には、蓄積した知恵を感ずる空間がある。

都会では持ち得ない季節がある。(定年)

 若い人たちに焦点あててきたが、人間の感性を揺るがすのはどの年代か?

小野寺:いたたきますは、幼稚園の時からだ。

川勝:おばあちゃんの役目はとても大きい

おじいちゃんが山に芝刈りに、おばあちゃんは川に洗濯に、そうしたら桃が流れてきて、生まれた子が「桃太郎」を育てているのはおばあちゃんである。

 かぐや姫も竹を割ったら、

 本来、閉経後動物たちの場合は雌は死ぬ物であるが、人類だけは生きている。おはあちゃんの役目としては、自分が産んだ後、産んだ経験を娘さんに教えているというのはとても大切なことである。

斉藤:農家というのは朝から晩まで働く物というイメージがある。農的暮らし、人間の原点、上手く受け入れてくれる地域があると、縁がなくても人は来るのではないか。私みたいに、それに晴れた日というのは、普通の人は、だまって家にいられる物ではない。外に出たがるのが普通である。

川勝:自分たちの持っている宝物を蓄積し、再編成した物が文化力である。

 こういう話しも、成功例を述べるよりも、失敗例を話した方が、わかりやすいかもしれない。

斉藤:移住して判ったのは、行政に頼ってはいけないということ。

遠藤:マスコミ・新聞チラシでは移住の事をたくさん取り上げているが、成功はほんの一部である。

虚像・幻のようなものをみているようなものである。都会の人は頭の中は何でもやれると思っているが、私は現実の話しをしてあきらめなさいという。

 農業は、自力でやる覚悟がないとできない。

 栗田:山村の過疎化を食い止めるには、そこで生きていく方法と新しい住民を入れていくことだと思う。行政の役目は入り口だ。

 移住したい人の意志、それを支えていく地域住民がいないと苦労する。

 食糧自給率 北海道200% 秋田100%山形100% 岩手100% 青森100%、東京1%   大阪2% 神奈川県3%である。

 一年間で1900万トンも廃棄していて、都会の人達はいきなり自給ができるわけがない。

川勝:観光・定住・移住何が必要か

 斉藤:魅力をアップするのがむずかしい。山形の人たちが自県の魅力を知らない。また、形から入っていく人が多い。観光地がないとか、東京の人はいい空気を吸いたいとか、ただ海を見ていたいという人が多い。形ではなく、自然体で帰ってきて何がしたいというのではなく、心をいやしたい人が多いので、あまり形に子田瀬悪必要はないのではないか。

小野寺:家に泊まる人たちに、何かグリーンツーリズムしなくてはいけないのではなく、「癒しが大きな要素」「命の都庄内」で、都市の人を引き寄せる力はすごい。人を呼ぶストーリー・文化が必要なのではないか。

心豊かかに自分が生きる、その事を都会の人と、いっしょに楽しめたらいい。

遠藤:これからのテーマは「命」自然と人間・文化を含めて独自の村づくりをしていくことのはそこにある。山形県は草木供養塔がある。160基以上ある。山形に120基ある。江戸時代のものが30箇所置賜地区にある。動物の供養塔はあるが、草木塔の心「命」を連鎖していくことが、持続可能な社会をつくっていくということを、先人は200数十年前から石碑を残して語り継いでいる。だから有機農業をして、食べ物「食育」を大切にして「命」を大切にするということは、成仏するという発想であるように思う。

栗田:私には二つの不思議がある。一つは家に女子大生が毎年来る。何がよくて来るのか不思議でならない。東京の大学の教授が山形を気に入った。

 山形というのは、新幹線で来ると、福島で、スピードを落として、峠から山形に入る。ここがいいらしい。

川勝:女子大生は「人柄」だそうです。供養塔(置賜地区) 生きる物全てを認める 草木一生成仏の思想が根付いている。禅・・・・・は草木に仏性があると言っていますね。

 オーライしやすいし条件がないと、国の環 人の環 自然と人間の環三つの環を繋げていきたいと思います。教はありがとうございました。


 オーライニッポン会議山形シンポジゥームの会場には、山形セレクションのマーク入りの特産品が並んでいた。また、懇親会では遠藤武彦衆議院議員の挨拶とオーライニッポン会議の専務理事の挨拶がおこなわれた。


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