■ 3月のまたぎ体験ツアー

3月のまたぎ体験ツアー
 
 3月9日、10日に春のまたぎ体験ツアーを実施した。
 今回のまたぎ体験ツアーは、4,500年前の縄文の森の文化から、生きた白神山地の森の文化を見てみようというセットで開催した。
 このまたぎツアーの参加者は、9日の朝一番に三内・丸山遺跡を訪れた。
 北緯41度に並ぶ、世界の文明の遺跡を見て「何か不思議な思いがする」「初めて知った」と言う人様々である。

 今回のツアーでは、過去の歴史や文学を学び、それらと縄文を結びつけて、白神山地を考えてみるという企画で進められました。


《歴史考察その1》 三内・丸山遺跡は、縄文時代前期から中期(約5,500年から4,000年前)の大集落の跡や、平安時代(約1,000年前)の集落の跡が見つかっています。
 特に、縄文時代の大集落の跡からは、数多くの竪穴式住居跡、大型竪穴式住居跡、掘立柱建物跡、大量の遺物が捨てられた谷(泥炭層)、大規模な盛土遺構、道路跡、大人の墓、子どもの墓、環状配石墓などが見つかりました。また、谷から見つかった動物や魚の骨、植物の種子や花粉から、当時の食生活や自然環境などを具体的に知ることができます。さらに、ヒスイやコハク、黒曜石が見つかったことにより、遠方との交易を、漆器は専門的な技術を持った人々が存在していたことを物語っています。また、巨大なクリの木を使った六本柱も発見されており、三内丸山遺跡は、縄文時代の、広葉樹の森を利用した、人々の生活を具体的に知ることができる貴重な遺跡であり、国特別史跡に指定されています。

《歴史考察2》 縄文時代から人々が行き交い、暮らしていた宮城県多賀城市には、西暦724年陸奥国府「多賀城」が築かれた。多賀城は奈良・平安の時代、「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼ばれた東北の中心地でした。
 秋田県の雄勝・平鹿・仙北の三郡より「北側」の土地は、出羽の国「蝦夷(えぞ)」と呼ばれ、青森県も含め「蝦夷地」と言われていました。その時代盛んに蝦夷征伐の歴史がありました。7世紀から19世紀中頃までの約1,300年間、「豊潤で広大な土地を持つ」「中央権力に屈しない」「支配・差別を嫌う」「北方の異民」を、中央では危険視してきました。秋田には「秋田城介(あきたじょうのすけ)と呼ばれる中央の鎮城司令官が派遣され、常に監視下におかれていました。朝廷の支配地は、陸奥の国(現在の岩手県盛岡市のあたり)にまで広がりましたが、資金はもちろんのこと、人的資源の消耗は大変なもので、8世紀末の桓武天皇の時代には、さすがにやり過ぎたと反省し、以後は積極的な東北遠征を控えました。
 789年(延暦8年)諸国からの派遣軍総数4万を、多賀城に会集、道を分けて蝦夷地に進軍し、大規模な対蝦夷軍事行動をはじめたが、青森・秋田・岩手県の北部の征東軍は、蝦夷軍に大敗しております。797年(延暦16年)には征夷大将軍に就任した坂上田村麻呂が蝦夷を討伏を始めたが、その坂上田村麻呂が現代では、青森ねぶたの最優秀賞である「田村麻呂賞(現ねぶた大賞)」に何故なっているのかなどが語られました。

《歴史考察3》 平安時代の終わり頃、12世紀に作られた十三湊は、15世紀後半までの長い年月を国際貿易港として、環日本海社会の中心都市として栄えてきました。そして、海外との交易を深め、十三の繁栄を支えていたのが、今では謎の人物とも言われる安東氏でした。
 安東氏の先祖にあたるのが、平泉奥州藤原氏と共に激動の時代を生き抜いた安倍氏です。現在の奈良県と大阪府に連なる「生駒山」には、安日彦(あびひこ)・長髄彦(ながすねひこ)兄弟を長とする一族が住んでいたと伝えられていますが、神武天皇の東征によりその一族が崩壊、神武天皇の手が届かない津軽まで落ちのびてきたと伝承されています。その子孫であるのが安倍貞任です。安倍貞任は、1060年に敗死し、当時3歳であった第二子の高星丸(たかあきまる)が乳母と共にここ津軽へと落棲、後に安東氏を起こした始祖と言われています。
 やがて、安東氏は「十三湊」を本拠地とし、巨大な勢力「安東水軍」率い、十三湊を国際貿易港として反映させていくことになるのです。水軍と言えば、村上水軍が有名です。大内氏や毛利氏など、時々の中国地方の覇者に力を貸して、山口の陶(すえ)氏をやぶった厳島合戦など海の戦いに活躍もしました。いち早く火薬を武器に使うなど進んだ技術も持っていました。水軍を瀬戸内海から駆逐したのは豊臣秀吉の全国統一と「海賊禁止令」でした。
 やがて江戸時代、能島、因島の村上水軍は毛利氏の家臣となり、来島のそれは九州山中の小大名となりました。


《文学分野》ですが、白神山地と津軽文学を考えてみようという企画です。
 津軽には作家、太宰 治(明治42年〜昭和23年(1909〜1978))の生家「斜陽館」があります。本名・津島修治は、明治42年青森県北津軽郡金木村の大地主の家に生まれました。
 『逆行』で第一回芥川賞候補になった後、沈滞した時期もありましたが、昭和14年に石原美知子と結婚後、『富嶽百景』『走れメロス』『津軽』など秀作を次々と発表しました。

もう一つは、赤石またぎの頭領、大谷石之丞さんの次男の、大谷石捷さんといっしょに、白済み自然学校で、またぎの講話を聞き、石捷さんの案内で白神山地をスノーシューで歩き、活きた縄文化石の森を歩くという企画でした。

 そして、最後は、白神山地の由来を聞き、白神の里の冬の食事を食べました。参加者は、普通の旅行では味わえない、素晴らしい企画だと喜んでいました。特にまたぎとの散策では、今日のクマゲラの餌じ痕を発見したり、ウサギ・テン・カモシカ・ニホンザルの足跡を発見したり、大きな雪だるまをつくったり、寝ころんだり、都会ではできない雪遊びを楽しんだ。
 この日の夜、食事会場に、大谷石捷さんが現れ、ウサギの罠のかけ方を教えてくれた。みんな初めての事で、霧中になってその話しを食い入るように聞いた。参加者は、またぎというのは、生きた知恵袋だと話していたのが印象的でした。
三内・丸山遺跡で、ガイドの説明を受ける 6本柱の前でその用途について思慮を巡らす またぎから、またぎの狩猟について話しを聞く
日本サルの足跡、人間の赤ちゃんに似て、とてもかわいらしい足跡である 雪原で仰向けになって寝てみたいという参加者。とても気持ちのいいものである 雪だるまをつくり、記念のポーズ
 10日は、朝から大荒れの天気でした。朝方まで雨が降り続き、朝から小雪が舞い、日中は強風という天候の中、静寂な十二湖を約4時間かけて、冬芽をみたり、ふきのとうを採取したり、バードウォッチしたり、青池・沸き壺の池をじっくり眺めたりしました。静寂な十二湖はとても気持ちのいいもので、参加者は、お腹もぺこぺこで、お昼は、おにぎりと白神汁に全部食べてしまいました。
 最後は、なんといっても旅の疲れは、温泉でと言うことで「不老不死温泉」に出かけましたが、この日は、強風波浪注意報がでていて、露天風呂に海水が流れ込んでいる状態で、せっかく楽しみにしてきた露天風呂は、お預けとして、内風呂に入りましたが、全員初めてで、5年ぐらい長生きしたと喜んでいました。
 今回のツアーは、「縄文の森から白神山地を考える」「津軽の文化・文学から白神山地を考える」そして「またぎの暮らし方から白神山地を考える」という内容で実施しました。参加した方はどう受け止めたでしょうか。またぎの大谷石捷さんが最後に言ってました。「自然は人間がいなくても活きていけるが、人間は、自然がなければ生きていけないと思う」と、含蓄のある言葉でした。
十二湖の原生林の中を散策 冬枯れの青池は静寂できもちいい 沸壺の池も青池と同じくエメラルド色をしている
トレッキングの最後は、白神汁を鍋で煮立てて、お腹の中から暖める。何杯もおかわりが続く、外で飲む白神汁は格別の味である そして、極めつけは、不老不死温泉の露天風呂に入ることだったが、この日は、生憎の強風が吹き荒れて、何とか露天風呂までたどりついたが、海水が入って冷たくて入れない。せめてもの記念撮影。帰りは、波が露天風呂のコースに「ドシャーン」と靴の中まで、海水が入る。内風呂で我慢、5年ぐらいは長生きしたかなあと冗談をいいながら、今回のまたぎツアーを無事終了することができました。ご苦労様でした。

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