3月田舎暮らしモニタリング体験ツアー開催が終了NO1
3月25日〜3月29日定住・移住企画ツアー

 今回のモニタリング体験は、2泊3日コースの人が4名と、4泊5日の1才の子供連れの若者夫婦が参加してくれました。25日は青森空港に降り立った参加者は、まず、青森県を知るということで、三内・丸山縄文遺跡を見学しました。ちょうどお昼頃縄文館に到着、会員が作ったおにぎりを食べました。このおにぎりが良かったと感動しきりです。ごまを使った炊き込みご飯と、フキとか身欠にしんが入った煮物とキュウリの粕漬けだったのですが、偉い喜んで頂きました。
 また、三内・丸山のボランティアガイドの上手な説明にも感動、縄文時代の狩猟イメージが、定住を通した高い文化を持っていた事。定住できた要素として山・川・海と、水と食料を育む環境に恵まれていたことを感じたみたいです。そこから、広葉樹の森(自然)は人間の生活には必要な存在ということを意識しつつ、発見された六本柱とは?大型縦穴住居は何に使ったのか? 約5500年前の縄文時代にタイムスリップして思いをさせながら、津軽が生んだ文豪、太宰 治の生家がある金木町に向かいました。

 「津軽平野のほぼ中央に位し、人口五、六千の、これという特徴もないが、どこやら都会風にちょっと気取った町である。善く言えば、水のように淡泊であり、悪く言えば、底の浅い見栄坊の町という事になっているようである。」(小説 津軽より)太宰の生家、斜陽館は、太宰の生き方に大きな影響を与えた所です。特に父、津島源右衛門は、この地区の大地主で、小作人達からコメなどを搾取している姿をみて、憤りを感じていたといいます。また、育ての母、タケに自分の本当の母親は誰かと聞いたというように、この斜陽館に生まれ、乳母に育てられ、この地区の農家の人たちの生き方と自分の立場を通して、津軽のイメージを小説に表していったのでしょう。そんな斜陽館を見学しました。
 途中、鯵ヶ沢町のポッカほか温泉につかり、自然学校に届いた参加者は、自然学校が誇る地元婦人会の暖かい手料理と、歓迎の中で、「白神御膳」を頂き、地酒も入り、薪ストーブの暖かさもと相まって、赤ら顔となり、とてもおいしいと喜んでくれました。そして、各地元の農家体験の家にホームステイーしました。
 翌26日は、朝から、地元またぎの大谷石捷さんの案内で、サナイ沢の雪の上をスノーシューをはいて歩く散策にでかけました。参加者は、三内丸山の縄文遺跡が「死んだブナの森の化石」だとすると、またぎといっしょに歩くというのは「生きたブナの森の化石」と歩いているような物です。またぎの知恵、木の見方、狩猟の話し聞き、三内丸山のボランティアの方の話とオーバーラップして、感動したようです。そして、この日の午後は、鰺ヶ沢町観光協会の案内で、鯵ヶ沢町内の史跡巡りにでかけました。北前船の寄港地として、遠くは、京都・大坂の文化を運んで栄えた鰺ヶ沢港、津軽藩御用達の港として、多くの郷土の生産物を運んだ鰺ヶ沢港の歴史を歩きました。鯵ヶ沢奉行所の跡地→白八幡神社の史跡、数々の北前船がわかる絵馬の話し、北前船で運んだ御影石の玉垣郡・天童公園からみた鰺ヶ沢港と大きな絵馬に描かれた商船は、今でも遠く山口県からも、先祖を訪ねてくる人がいると聞き、びっくりしました。その後、町屋におりてくると、漁師町・浜町があり、多くの宗派のお寺がずらりと並んでいます。当時にしては、異文化が入るにぎわいが感じられる所であり、北前船が寄港して、各宗派も入ってきた跡が忍ばれます。そして最後に、鰺ヶ沢港を見て、干してあるホッケを見て、山・川・海という自然条件を感じた史跡巡りを楽しみました。ちょっと風が強い中の史跡巡りでしたが、その後、水軍の宿の温泉に入り、北前船の形をした露天風呂に入り、船長になった気持ちで、潮風にあたり、風で冷え切った体もほかほかの体になり、自然学校に戻りました。

 夜は、白神山地という地名の由来や、白神山地が世界遺産になった理由を液晶の授業で学びました。参加者は、白神山地は、ブナ林がある所というイメージしか情報が入らないのでとても貧弱なイメージでいたが、こういう歴史や、問題があって世界遺産になったことを初めて知ったということで、こういう旅行会社では感じ得ない今回のツアーに感動していました。
 27日この日は、朝食を済ませてから、今回のモニタリング体験ツアーの意見交換会が行ないました。
 参加者の声を紹介します。
●(教諭Sさん)
 白神山地の歴史的な背景がとてもわかりやすい企画だった。世界遺産の経緯もわからず参加したが、来てみて本当に善かったと思う。時期としては、今度夏に一度来てみたいと思う。、また、地元の方々の「おもてなし」、「白神自然学校が地域の人たちを巻き込んだ事業をしていることに感動した」今回は、婦人会の人たちしか見なかったが、旦那さんや、家族を巻き込んでいる姿をみてみたいと思いました。地域というものはこどもがいるだけで明るくなる。定住ということを考えると、一つは白神山地をどう守るかということ、二つは、白神山地をどう活かすか、三つ目は、それと自然は人がいなとだめだということを感じました。是非、今度は、今回は山に入れなかったので、山の方に入れる季節に来てみたいと思いました。

●(教諭Kさん)
 三内・丸山の縄文遺跡を見学する前に食べた「おにぎりがおいしかった」今回このツアーに参加する前に、韓国に日本のルーツを訪ねた旅をしてきた。高麗と九州ということで、弥生の遺跡のある吉野ヶ里にも出かけた。そして、三内・丸山縄文遺跡、そして、またぎの話しを聞いた。何とも言えない感動を覚えました。いま、日本仏教を中心に、日本人の精神性を研究している哲学者 梅原 猛さんの本を読んでいて、日本の原点をみたいと思っていた。もう後数年で教師生活を終えるので夫婦で、自分のルーツ、生き方を考えていた。今回、この地区を訪れ、皆さんのお料理、ボランティアのホスピタルの気持ちを何らかの形で伝えていきたいと思っている。料理・人情・そして先祖のいい物を受けついている。自分も仕事と子育てで、走ってきたので、ここで一度足を止めて、ゆっくり見つめてみたい。

●(Kさんの娘さん)
 地元の人達の熱意に感動した。また、ここは個人的な旅行ではなかないけない所だとおもった。地域の皆さんが一体となってこのモニタリングツアーをしていると感じた。もっと大勢の人たちにこういう地域の取り組みがあることを知ってもらいたいと思いました。最後に、このツアーを企画した地元の人達の地域に対する愛着と誇りがすごいと思ったと語ってくれました。

●(家族で参加したHさん夫婦)

 自分たちも、東京都青梅市の山奥で、自然学校をやってきた。白神自然学校の取り組みを楽しみに見に来た。三年ぐらいで、地域が自然学校と結束している光景に驚いた。自分たちは今でも青梅では、よそ者である。ここでは、自然学校の代表は、よそ者でも、お年寄りの人たちや婦人会の人たちに喜んでもらっているような気がする。スタッフの人たちも前向きに働いているのがとても、まわりからみていてわかるし、気持ちがいい。
 自然を活かすも、殺すも人間だと思う。長い年月かけても正しい情報を伝えてもらいたい。そういう意味では、液晶を使った授業で話した内容を一つ一つ丁寧に、白神山地を訪れた方達に、白神山地の歴史・伝統・由来などを伝えようとしている姿が、うれしい。
 ただ、残念なのが、ホームスティー先や、はたらいしている人たちが、津軽弁で話しているのが、意味がわからなくて、何か話しているみたいだが、よくわからなかったので、津軽弁の講座をやってから、交流という形が善いのではと思ったと話してくれました。
 午前中、意見交換をして、この日の午後2時台で帰る参加社は、自然学校を後にして、海の駅・森田村の道の駅・浪岡町の道の駅を経由して、青森空港から首都圏に戻りました。4泊5日の1才の子供と夫婦は、この日の午後、十二湖、不老不死温泉、次の日は、農家の空き家まわり、農家体験として、スイカの種付け体験、山菜料理づくり体験、そして最終日は、JR五能線に乗車して、ゆっくり日本海を眺めたりしながらして、東京に戻ることになりました。
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