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来賓あいさつ

自然活動推進協議会 代表 岡島成行様の挨拶

岡島 成行(おかじま しげゆき)

写真1
環境ジャーナリスト、大妻女子大学ライフデザイン学科教授教授、
(社)日本環境教育フォーラム専務理事、自然体験活動推進協議会代表理事など。

1944年1月 横浜市生れ。上智大学山岳部OB
読売新聞解説部次長をへて現職。
主な役職:国土交通省・社会資本整備審議会委員林野庁・林政審議会委員・環境省・中央環境保全審議会臨時委員。環境省・政策評価委員会検討員。文部科学省・中央教育審議会臨時委員など。

著書:「アメリカの環境保護運動」(岩波新書、90年)、「レモンジュースの雨」(共著、築地書館、90年)、「Only One Earth」(桐原書店、91年)、「Green Issues」(桐原書店、93)「はじめてのシエラの夏」(翻訳・ジョン・ミューア著、宝島社、93年)「地球救出作戦」(翻訳・チルドレン・オブ・ザ・ワールド著、小学館、94年)「林野庁解体論」(洋泉社、97年)「Echoes of the Environment」(鶴見書房、99年)「自然学校をつくろう」(山と溪谷社、2001年)など多数。

ごあいさつ<全文>

写真2 みなさん、おはようございます。これから30分ほどお話をさせて頂きます。まず、白神自然学校一ツ森校の開校おめでとうございます。永井さん、町長さんおめでとうございます。こんなに良いところに、素晴らしい学校ができまして、私は全国でこのような運動を奨めておりますが、全国の中でも全国屈指のロケーションだと思っております。今日は、前半は世の中一般の自然体験などの流れについてご説明申し上げまして、後半は一ツ森校がどういう形で頑張っていったらいいのか、全国の流れと合わせてその二点についてお話し申し上げたいと思っております。

みなさん既に御存知のように、白神山地が林道を作るか作らないかの時に、読売新聞の記者として高い感心を持ちました。当時、林野庁とだいぶ色々な議論のやり取りをしました。そんな折りに、秋田県の二ツ森の方から縦走してきました新聞記者数人と自然保護協会の方々や、秋田県庁の人達、何かで5月にして縦走して降りてきた記憶があります。その時に案内をかって出てくれたのが根深 誠君(校長)であります。私は上智大学の山岳部で、根深君は明治大学の山岳部で、亡くなりましたが有名な登山家の植村直巳さんは、私より一つおいて上の明治大学の山岳部でした。私がシアトルにいたときに、私の所に植村さんが来て、一晩酒を飲みながら自然学校を作りたいんだと。帯広の市長さんが土地も用意してくれて、日本に帰ったら帯広で自然学校をやると。その時岡島も手伝ってくれと言われました。新聞記者だから、新聞記者の枠の中ですけども、一緒にやりましょうということで、明け方になって、今度は早稲田の山岳部の人が迎えに来て、二人でアラスカに旅立って行ったんですね。そしたら、そのまま植村さんが亡くなってしまって、私もかなりがっかりしたのですが。その時の小策に根深君も駆けつけて活躍してくれました。それやこれやで根深君とは学生時代の頃から東京でお付き合いして、植村さんのこともあって再会したりして、そしてまた、白神山地の問題で根深君が損得抜きに頑張っているのを見て、私も応援したいと思いました。
そういう流れで、だいぶ前に一ツ森小学校を見せて頂いたことがありました。その時は、いい所にいい学校があるなあという印象でしたね。それが、3年前くらいに縁がありまして、青森大学で大学院を作りたいという要望がございまして、その設立を少し手伝っている中、話が逆になってきて、岡島さん、青森大学に来て下さいという話になりまして、色々考えた結果、、環境教育という当時は日本の大学院ではなかった科目を作りたいという前理事長の強い熱意に押されまして、青森大学大学院に赴任しました。東京で仕事をしながら通いの教授ということだったんですけれども。それが3年経って一応の形ができてきましたから、そろそろいいでしょうということで、東京に戻って、大妻女子大学の教授として仕事をするということになりました。それやこれやで青森に来たときに、この一ツ森はどうなってるのかなと気になっていました。白神山地に何度か行く折りに、3年前ですか、ここにまた寄ったら廃校になるという話を聞いたんですね。こんなにいい学校が廃校になるのはもったいないなと思い、町なり地元にはそれなりのご事情がおありでということで、廃校になるんだったら、この自然を活かした自然学校のようなものはできないかと思いまして、永井さんに是非やってみてはどうかとけしかけて、また永井さんにもそういう心つもりがあったと。白神山地を守る会でも、この学校を使って何か役に立つことをしたいというお話になっていたそうです。そういう話がずっとつながって、昨年は町長さんのお宅、なおじろうの民宿に泊まらせて頂いた時に、ここに自然学校を作ろうという話しになって、こういうところまでこぎつけられたことは素晴らしいことだと思います。

そして、なぜ自然学校のようなものがいいのかということを少しお話し申し上げます。青森はそうでもないと思うのですが、全国の子供達、特に東京、大阪近辺の都市部に住む子供達は自然体験が甚だしく不足しております。私は横浜の生まれですけれども、小さい頃は横浜でも東京でも原っぱも山もたくさんありまして、子供達はそこで色々な遊びをしていました。今の子供達は、見ていて本当にびっくりするくらい自然の中では遊んでおりません。ここ2、30年すごい勢いで自然離れが進んでおります。そして、例えば、今、北アルプスへ行きましても南アルプスへ行きましても、残っているのはおじいちゃんおばあちゃんのお年寄りばかりですね。海に行っても海水浴は振るわない、スキューバとかそういうのもわっと広がっているわけではない、全国に600ヶ所あるスキー場は300ぐらいはつぶれかかっている、スノボーも頭打ちだ、色々なことで商売の方も上手くないのでしょうが、若者がほとんど自然に触れていないんですね。このままいくと、私はかなり大変な事になるのではないかと心配しております。

自然から離れていってしまうのには、色々な条件があったと思います。例えば、自然が側になくなってしまったこと、青森でたくさんありますけどね。私は今、文京区に住んでいます。文京区には7つの中学があります。野球部とサッカー部がある中学校が2つです。あとはないんですね。なぜないかというと、グランドがないのです。バスケットやテニス、水泳はできるんでですが、広いグランドを必要とするのはないんですね。だから野球部もサッカー部もないんですね。私も、子供が中学校へ入る時にびっくりしました。子供が野球部に入りたいと言っても、野球部がある学校は少ないんです。これは都心の学校はどこもそうなんですね。大人がみんなとってしまったんですね。ここは道路が必要だからちょっと削る、こっちは何とかで削るということで、中学校のグラウンドがなくなってしまったんです。これは非常に典型的な例ですけども、子供達が自然の中で遊ぶことは、物理的にも場所がなくなって機会もなくなったんです。

それから色々な状況で大きい子と小さい子が群れて遊ぶということが影をひそめてきました。クラスの同学年の人達とは遊ぶんですが、6年生が1年生まで引き連れて群れて遊び歩くことが非常に少なくなってきました。ということは、自然の中で魚を釣ったり、キノコを獲ったりする色々な作業というものは、けっこう子供同士から教わってくることがありまして、いわば子供文化のようなものがありまして、大きい子から小さい子にだんだん教わってきて、小さい子が大きくなると、また小さい子に教えていくんですね。それが20年前からきれいに切れてしまって、子供から子供に伝わる作業がなくなってきております。ということは、今の子はどの子をとっても、自然の中で遊ぶ技術がないということです。子供達だけで川遊びに行けば流されて死んでしまう、という状況になっております。(笑い)野球でもサッカーでも、他の遊びでも大人が管理してチームを作って遊ばせている状況になっております。子供達同士で自由自在にルールを作って遊び歩くということはほとんどなくなってきております。これは、学校は基本的には読み書き算盤をやるところでしょうが、人間社会の中で生活していく上での非常に大事な部分が、欠落しているのではないかと危惧を持っております。

それではもう一点、非常に顕著な例は体力ですね。週休二日制になった総合的学習の時間が入ってくるなどということで、学力が低下すると大騒ぎをしておりますけれども、学力はどうでもいいと私は思うくらいなんですね。その前に体力ないんです。これは昭和何年かから30年の間に日本の子供達の体力がものすごく落ちているんですね。これは信じられないくらい落ちています。これから落ちる心配があるのではなくて、既に落ちているのです。寿命は、世界中の中で男女とも長寿ナンバーワンというところにいると言われています。それは、今の70、80、90才の方々はご飯とめざしと味噌汁で育ってきた人達ですね。そういう自然の中でたくましく育ってきた方々が、80歳で世界で一番になっているんです。今の子達は、体力がない、子供のときから成人病がでてきたという子供達が果たして80まで生きることができるんだろうか、とそういう事まで考えると非常に不安ですね。

そのように、今の子供達がおかれている立場は非常に悪いです。日本の子供は特に悪いです。そういうことを考えると私は非常に心配で、何としても子供達を育てるための学力や色々なことも必要でしょうが、基礎体力と自然とのふれあい、自然の中から色々な大きなことを学んでくるわけですので、その部分を取り返したいという気持ちが新聞記者の時代から強くありました。

植村さんと約束して日本に帰って来てから20年ぐらいになるんですが、その間一貫して環境問題の報道を続ける傍ら、NGO活動として自然体験、自然学校を日本中に広めたいという運動をやってまいりました。それが、先ほど少し紹介頂きました、日本環境教育フォーラムという団体であります。その日本環境教育フォーラムという団体が発展しまして現在、自然体験活動中心協議会という団体が立ち上がっております。これは2000年5月にできまして合一化学やボーイスカウト、ガールスカウト、野鳥の会など色々日本中の様々な自然の中で遊ばせてもらっている団体が、現在250団体集まりまして、ネットワーク型のNGOですけれども自然体験活動推進協議会を作っております。それでようやく、あらゆる団体が手を組んで、何とか日本の子供達のこういう状況を直したいと。よくよく見ますと、子供だけではないんですね。40歳より下の人はお父さんもお母さんも、自然体験をあまりやらなかったという人が増えてまいりました。お父さん、お母さん、子供の親子揃ってハスを釣ったことがないとかキノコを獲ったことがないとか、川で泳いだことがないというご家庭が増えています。ですから若いお父さんお母さんも当然対象になってくるわけです。それから、60過ぎてから暇になった人もだいぶ出てきまして、その方々も自然の中を自分で歩いてみたり、小さな子供達を相手に遊んでみたりということも増えてきています。そういうことで、老若男女問わずこの自然の中で遊ぶ、自然から教わることをもっともっと広めていきたい。老若男女問わず参加したい人も増えている。そのような状況になっているわけです。

そのような状況で20年間やってまいりまして、幸いにも4、5年の間に文部科学省、環境省、農林水産庁、林野庁、国土交通省の河川局、公安局、農水省の水産庁、一辺な所が海、山、川、里山を抱えている中央の役所が本気になってきてくれております。そして、この秋には、11月10日からスタートしますけれども、文部科学省では、先ほど永井さんが少し申し上げた、自然体験活動の指導者育成の全国センターを作るための準備が始まります。国土省の港湾局が日本全国に海の自然学校を展開する計画で、本年度は10のプログラムを試験的に行いました。河川局は全国の180のNGOに集まってもらって、RACという団体を作って川で遊ぶためのNGO連合体を作ってそれをサポートしております。農林水産省は田んぼの学校をやっておりますし、林野庁は森林環境教育ということで様々な活動を始めております。なかなか鯵ヶ沢町まで予算の細かい点まで届いてこないようですけれども、各省庁の来年度の概算要求を見ましても、かなり多くの施策が盛り込まれております。自然体験を奨めようじゃないか、自然体験を奨めて環境教育を奨めよう、そして落ち着いた良い世の中にしようという意向は中央の役所も強く出ております。来年度の概算要求は12月に通ればですけど、通った後、特別に鯵ヶ沢町には分析して、このお金のこの部分は環境省に町が要求すればもらえるとか、この部分は県を通して請求すれば2分の1は補助が出ますよと、こうやって集めるだけでもかなりの事業費となります。 各省庁の概算要求を見比べて一ツ森校ができる事業がかなりたくさんあります。各省庁合わせてそのような意気込みになってきております。全国の動きから見ますと、この白神自然学校一ツ森校がきちんとした形で世の中に受入れられるのも、そう遠くはないことだろうと思っております。そのような世の中の動きがあって、各県一生懸命なんですね。

11月5日には長野県の白樺湖という所で、全国のアウトドアメーカーと教育関係者が集まって、自然体験をどうするかという大きな会議があります。そうしましたら、皆さん御存知のように、ユニークな田中康夫県知事が私達も入れてくれと、長野県上げてやりたいんだという申し出を頂いております。三重県でも、富山県でも色々な県で自然体験を活かして村作り、町興しをやっていきたいという希望がたくさん出てきております。もう一息で一つの流れができるのではないかと思っております。そういう流れは全国の中で起きているさなかですので、鯵ヶ沢町は青森県の中でも突出的に先進的にこういうことをしておりますので、青森県の中ではどれほど理解があるのか分かりませんが、日本全国の流れから見ますと、選択としては正しかったと思っております。ただ時間が少しかかるかもしれませんけれども。4、5年の期間を考えておかないと、今すぐ軌道に乗るという仕組みにはなかなかできないかと思います。

そのようなことがありまして、自然体験を日本人の間にもう少し広める。そのためにはもう少し社会システムがないと、子供達だけでは遊びに行けない。そのような幾つかの条件がありまして、世の中全体の仕組み作りを、私は今東京で一生懸命やっています。それが今、少しできてきました。もう少しで、あそこの県でこういうこと始めた、あの県でこういうことをやっていて人気があるということになっていると思います。一ツ森校は既に布石を打っているわけですから、ぜひ全国の大きな流れの中の最先端に、今、皆さんがいらっしゃるということは自信を持って頂いてけっこうだと思います。それでは今度は、どうやったらうまく回って若者の雇用になって、この町のプラスになっていくのかという実践的な面がこれから大変だと思います。

まず、第一には地域の方々が先生になるというのは、第一だと思いますね。永井さんがいたり、吉川 隆(またぎ)さんや根深 誠さん(登山家)という、その道で全国に通用する方々がいらっしゃるわけですから、その下で一緒になって、生徒さんが来た時に色々教えてあげるのは村の方が先生だと、僕は思っております。ちょっと話はそれますけど、過疎地域や色々な地域に行きますと、お年寄りが少し自信を失いかけているんですね。誇りと自信を失っているところが多いです。なぜかというと、例えば、お年寄りの70の方、おじいちゃんが一生懸命畑を耕してきた。そうすると、17、8になる孫がスーパーマーケットでアルバイトをして稼いでくる。そうすると、おじいちゃんよりも孫の方が威張るような感じになってくるんですね。これが良くないと思うんですね。良くないというか、金が欲しいからしょうがないんですけど。現金収入を持ってくるやつが一番偉いみたいな風調が日本の農村にはびこっているのではないかと思いますね。そうではなくて、70年耕してきてこの村の野山のことも全部知っている、その方が偉いんですよね。そこを位置づけていないものですから、小金を持ってくる人が偉いというようになってしまって、村や町がみんなそうなってしまっていますね。そうではないことが、何となく分かってもらうためにも、村のお年寄りの50年60年にも渡る知恵をこの自然学校で先生として、その知恵を知らない人に与えて欲しいということなんです。そうすると、少しずつ、孫がおじいちゃんのやっていることはすごいな、東京から来た人が関心して習ってるよ、という状況を色々つくり出せば、やはり地域社会が安定してくると思うんですね。今はいかにも小金を持ってくるのが威張っていて、古くからの伝統的な知識や知恵を持っている人が肩身の狭い思いをしている。それを何とかして少し変えようじゃないか、ということのためにも50年60年培ってきたその知識を今こそ出してもらって、色々な方、そういう知識のない方に教えてあげましょう。

岩手県の花山国立少年自然の家というのがあるんですけれども、そこには玄関の先に名札がたくさん並んでいるんですね。たくさん並んでいるから何だと聞くと、地元の方の講師の名簿だと。郷土料理は何とかのおばあちゃんで5~6人いると、魚釣りはこの人で、キノコ獲りははこの人で、民話はこの人がやる、とずらっと並んでいます。そうしますと、あるおばあちゃんが、3日に1回くらい来て、私の名札がまだあると確かめにくるんだそうです。気持ちは分かりますよね。あるおじいちゃんは、国立少年自然の家だから国立何とかから非常勤講師の委嘱状を書いて賞状みたいなものをお渡しすると、神棚に飾ってあると言うんですね。これもまた気持ちが分かりますね。これは一つの生きがいです。そして、その方が1ヵ月に1回でも2回でも来て、横浜から来た少年自然の家の子供達に昔話をする、場合によっては郷土料理、クッキングを教えるというように講師をしております。

ぜひこの一ツ森校もこの地域のお年寄りの方や若い方、地域の方が地域の文化や伝統や技術を教えるのが、自然学校の基本ではないかと思っております。ただ、そのためには田んぼも知らない子もいるわけですね。この間、大妻女子大学で、農水省の人が来て田んぼの学校というものの説明をしてもらったら、ポカンとしている人が半分いました。よくよく聞いてみたら、田んぼを知らないんですよ。田んぼを見たことがある人手を挙げて、と聞くと全員手を挙げて、田んぼの側を歩いたことがある人はと聞いたら、15人しかいませんでしたね。残った15人は車の中から田んぼを見たことがあると。電車に乗って田んぼを見たことがあるんです。そういう子達に田んぼと言っても分からないですね。水を引いてきて、そこにドジョウなどがいっぱいいてという話をしても分からないですよね。そういう人達がここに来るわけですね。田んぼなんか当たり前だと思っているおじいちゃんおばあちゃんが説明しても通じないんですね。田んぼって何だとまず見せてね、そういうことは地域の方が当たり前だと思っていることでも、全然知らないことがたくさんあるから、何にも知らない人のために、こういう手順を踏んで教えなきゃいけませんよということは、地元のお年寄りも習わなきゃいけないと思うんですね。そういったちょっとした講習を永井さんの方から受けて、誰でも講師になれるわけでして、ぜひ地元の方、地域の方が中心になってやるということが大事だと思います。

それから、もう一つは、ここは自然が素晴らしい所ですね。自然遺産と評価されるような自然がある所です。しかも、山から赤石川をつたわって日本海まで一つのセットとして使える自然です。自然体験としてこんなに恵まれた場所はありません。全国を探してもそうはないです。世界遺産といってもそうはないわけですから。そういう意味で世界遺産と認定されるような本当の無垢の自然があって、そこを流れる川があって海までつながっている。これをセットで考えたら日本でも素晴らしいですよ。ただ、東京から来ると非常に遠いですからね、地の果てとか本州の果てみたいに言わせてますけど、そんなことはないですね。場所は素晴らしい所です。ですから、町長さんを始め町の方が、今思えば何代も前から、色々水害にあったり苦労しながら自然の中に住んで文化を育ててきたその見返りが今出てくるのではないかと思っております。その自然が主役ってこともあるんですね。地域の方と自然というセットが、ここにはあるんです。熱心な人がいても自然が汚いところとか、色々揃うことは少ないです。私も青森に赴任してきて、八甲田を見たり色々な所を見て、岩木山の裏側はギザギザ道路がありますが、ほとんどの山に傷がないのにびっくりしましたね。内地の東北から関東、中部のもう少し行った所に行くと、どの山を見ても傷があるんですよ。真ん中にホテルがあったり何かあったりと。こちらはそういう商業的な力が及ばなかったせいもあって、青森県には傷がない素晴らしいきれいな山が非常に多いことを認識しました。その中でもこの白神から岩木山のこちら側は道路が見えないし、素晴らしい自然が残っていると思います。それはもうかけがえのない財産です。今までは自然の持ち損とか、ゴルフ場にもならない自然はあまり役に立たないと言われてましたけど、これから21世紀は残してきたこの自然が財産になる、そうなると思います。それについてもみなさんぜひ自信を持って頂いて結構です。世界に通じる自然なんです。

今日は、オーストラリアのクイーンズ大学から加藤先生がお見えでいらっしゃいますけど、例えば自然学校がもう少し動き出してくれば、オーストラリアからきても楽しい所ですよ。日本を代表する自然を見ることができる、オーストラリアにはない雪が楽しめる。ですから、オーストラリアの大学と青森大学で交換留学をやってもおもしろいじゃないかと思います。ちゃんとした自然を持っている所でスタッフがきちんとしていれば、世界に通じるわけですね。ここの学校の良い所は、世界に通じる自然があるということなんです。そこはみなさん、ぜひ大事にして頂いて、これを財産に世界に向かって色々なことを発進できると思うんですね。その辺のところを案外地元の人は気がついていない場合もあるんですね。キリストさんは自分の町では布教ができなかったと、よく言われますね。地元では評判が悪かったんです。キリストさんが布教しても、お前の兄貴は不良じゃないかとか色々言われて、自分の町ではなかなか布教はできなかった、という話があります。同じように、毎日毎日見ている赤石川と白神山地と一ツ森のこの山を見ていると、当たり前に思うかもしれないけど、日本中振り返ってみますとこんなにいい所はもうなくなっているんですね。ですから、その辺は自覚して自信を持って頂きたいと思います。私はあと4、5年でかなり体制が整って、いきなり世界に完たる自然学校というようにはいきませんけど、日本の中でも、有数な学校、場所によってはオーストラリアにしろ、アメリカにしろ提携して色々な方が交流できる自然学校になりうる場所だと思っております。ぜひ頑張って頂きたいと思います。

それから、4、5年の間は、自然体験である中央の政策が波及してくるのに、日本は時間がかかるんですね。河川局が環境問題を治水と利水に環境を入れて三本柱に変えました。環境も大事です。東京の河川局が変わっても全国の県庁から土木事務所まで全部変わるのに4、5年かかるわけです。同じように、東京で各省庁が色々な政策を打ち始めました。その政策がどんどん出てきて、青森までなるほどそうだということで、そういうふうに活用されるには時間がかかると思いますから、それまでの間県全体での認識とか、色々なものが熟成されるまでの間、一ツ森校の設立は、少し早いんですね。ですから、早い分だけパイオニアとしての大変さがあります。しかし、より早い方が良いものができるわけで、早い分だけ苦労があると申し上げておきたいと思います。しかし、それは必ず4、5年の間だと思います。ですので、あらゆる所から、お金を集めてきましょう。そして、国の政策から集めてきて、NPO法人を取られたわけですから、今日本の国の政策を考えると、鯵ヶ沢町が国や県からもらってくる仕事、と同時にNPOが直接もらえる仕組みができています。だから町とNPOが上手く連携して、おれたちはこっちの仕事をやるからおまえ達はこっちの仕事をやれということで、うまく役割分担すれば、町の方は森林組合でやる森林整備、NPOはNPOでやる森林整備、働く人を二つに分けて仕事量を倍にすればいいんです。そういう形で様々な政策を利用して、これは町長さんのお仕事かもしれませんが、国の色々な政策をうまく持ってきて出口では町で全部集めてしまう。こういう方法を取って、新しい形の公共事業を町の方で中央を利用する、という形の作戦を少し考えればけっこう利益は入ってきます。この手の新しい政策論は受け入れられますから、町を通じて自然学校一ツ森校と町とが一緒になってこういうことをやりたいんだ、地域振興でこうだ、河川のためにこういうことをやりたい、色々な政策の球を打って出せばいいんですね。先行しているだけに、かなり当たる確立は高いですね。これは、永井さんと町長さんが色々お話しして、私もアドバイスできれば、そういう形で資金を得て、その事業でもって、小学生のための総合学習時間の授業をやっていけるのではと思います。そういう作戦を色々立てれば、4、5年で一般の人がたくさん来て、学校経営も軌道にのっていけるとおもう。
いわゆる私立学校の経営ができるまでには、まだ少し時間がかかるかもしれませんけど、それまでの間そういう形を色々取って経営したらいいのではないかと思っております。最初のうちはなかなか大変だと思いますけども、先ほども申し上げましたように、方向性としては、時代の最先端を行っております。最先端を行っているだけに、みんなが理解してくれるまでには時間がかかるから苦労が多い。しかし、みんなが理解した頃には、立派な学校として、全国に完たる学校になりうる、ということがあると思います。

それから最後に提案ということなんですけども、一ツ森校は施行125年の歴史がある学校ですから、その歴史を活かしてほしいですね。私が思ったのは、校歌です。「そびえて高く山の下 流れて清き川の橋 静かに立てる学び家は 我が一ツ森小学校」。この歌を来た人全員に覚えさせてもらいたいですね。二泊三日の人で来た人や、東京から来た人にでも、最後は歌えるようにして帰って欲しいですね。これは、この学校の必修科目にして欲しいですね。それから、歴代の校長先生や小学校の卒業の額縁は、全部この辺に飾っておいて頂きたいですね。やはり、125年の歴史と伝統を踏まえて、再出発した自然学校だというためにも、小学校時代の証は消さないでほしいです。これはきちっと残してほしいですね。最後には、この歌を歌わせて帰すと、日本中にこの歌が流行る、という感じで踏ん張って頂きたいです。

少し長くなりましたが、この自然学校の発展が間違いないという、一つの応援のエールとさせて頂きまして終わりにしたいと思います。長い間どうもありがとうございました。

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